南の国の太陽、空の色の獅子

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日本フィギュアスケート 金メダルへの挑戦日本フィギュアスケート 金メダルへの挑戦
城田 憲子

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あまりに面白くて、一気に読んでしまった。

1994年から2006年まで日本スケート連盟フィギュア強化部長を務め、週刊誌からは「女帝」と揶揄された城田憲子さんの初の著作。
私はこの時代にフィギュアスケートをちんたら見ていた観客だが、リンクの上、「表」の面しか知らなかった。
「裏」のことは、知る術がなかった。
知っている関係者たちは、「黙っている」のが「普通」だったのだろう。
今回、ご本人がべらべら喋ったのは、「時効」になった、と判断したからか。

記述は、「ああ、そうだったのか」となる話の連続である。
個人的に一番驚いた箇所を挙げるなら、荒川さんへの指導の描写。

あっちへ行け、こっちへ行け。こうしろ、ああしろ。
コーチを次々替えていったのは、すべて城田さんの指示による。
コーチと交渉するのは城田さん。
選手本人の意向はおかまいなし。城田さんが決めて、「言うことききなさい」。
強引とかいうレベルではない。

いやあ、荒川さんに、是非一度当時の話を聞いてみたい。
城田部長が「金メダルを獲れるのは荒川」と見定めて、彼女ひとりに人・金・手間・知恵、エネルギーのすべてを注ぎ、村主さんをはじめとした他の選手たちはほっておいたそうだから(本人が悪びれず堂々とそう書いている)、外部からは「贔屓されて不公平」という目で見られただろうし、勝利に対する執念を持たないパーソナリティだった彼女は「強権的に支配する」部長に対して不満・不快を抱いたことがあったに違いない。

とはいえ、荒川さんは、「ええ、大変でした」と認めながらも、部長に従った結果として五輪金メダルを獲り、現在「成功した人生」を手に入れているから、「結果よし」で城田さんを悪くは言わないのではないか。いやな思いをしたことも、笑い話にできるだろう。

「コーチの選択に連盟がどの程度関わっているのか」は、長い間疑問に思っていた。
選手やコーチ本人たちが口から出したり記事になることは滅多にない。「裏」のこととして伏せるのが慣習になっているとしかみえない。

羽生君がオーサーにチェンジしたときも、連盟が果たした役割についての明確な情報は出なかった。
ソチ五輪直後、羽生君に関する記事はあふれかえったけれど、この件を記した記事はなかなかみつからず、ただ一本、宇都宮直子が書いた記事の中で「城田さんが紹介した」と名が出た。

仔細は、本書で本人が明らかにした。
羽生君の両親から相談を受けた城田さんが、候補を3つ提案し、家族含めた本人に選ばせた、という。
かつては、自分の一存でここと決め、選手に有無を言わさず押しつけたが、この頃には「選手が、自分で決めたと認識することが必要」と学習し、うまく導いたとみえる。

羽生君に関しては、「まだ」明らかにできない件が多く、言及量は僅かである。
ただ、本書の他の記述から、「城田さんが、羽生君のためにどういう活動をしてきた」のか、なんとなく想像ができる。
もしも、私が羽生君の熱心なファンだったら、「羽生君のご両親と羽生君自身がこの人とうまくやれて、支えてもらえることになってよかった」と安堵したことだろう。

たらればだが、もし、トリノ五輪直後にスケート連盟不正経理事件で城田さんが失脚することがなかったら、どうなっていただろうか。
彼女は「次に金メダルを獲るのは浅田」と見定めて、2010年までの4年間、浅田さんに全力を注いだのでは?と頭に浮かぶ。

私は、城田部長というと、2003年世界ジュニアのJスポ放送の解説での「(浅田さんを)カプセルに入れておきたい」発言が強烈に印象に残っている。(このときの試合結果は1位太田由希奈さん、2位安藤美姫さん、3位カロリーナ・コストナー)

部長からすれば、「浅田は金メダルを獲れる選手」で、獲らせることができなかったのは無念残念、ではなかったか。
当時の私は、浅田さんにほとんど注意を払わず、記憶もあやふやだが、彼女はコーチがいない時期があり、適切な指導者を持たず、最善の練習環境になかったように思う。

城田さんは、「私だったら、こんなことさせないのに」と連盟の執行部に不満たらたら(いや怒り爆発か)だったのでは。
勿論、仮に城田さんが強化部長を続けていて、浅田さんを指導したとしても、浅田さん(と親御さん)が従ったとは限らず、城田さんの思い通りにいったかは疑問だ。漏れ聞く話からすると衝突した可能性は高そうで、本気で惜しむわけではない。

本書には、基本的に浅田さんの話題はない。荒川さんの金メダルへの道の障害として描かれるだけだ。
ただ、城田さんはあとがきの中で、オリンピックという4年に一度の舞台で勝利をつかむためには、実力以外に運が必要で、運を引き寄せるには、「闇雲な努力ではなく、正しい努力を日々重ねる」ことが必要、と書く。

「正しい」努力、という表現を、短い章の中で「4回」繰り返し、羽生君はそれをしてきたと断言する。
浅田さんが練習熱心なことは有名で、彼女が努力をしたのは間違いない。けれども、それは「闇雲な」努力で、「正しい」努力ではなかった、と言外で言っているように思えた。

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Category :  散歩
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「聖心女子大学」といえば「美智子皇后の出身大学」という知識しかなく、縁がないと思っていたが、歴史的建造物巡りを始めてから、ここのキャンパスに昭和天皇の后である香淳皇后の実家、久邇宮家の本邸の建物があることを知った。

都内に現存する皇室建築はおよそ洋館だが、珍しいことに、ここは和館である。
学生たちが茶道や華道などの稽古に使っていて、年1回、3月に一般公開が行われている、という。

書籍に載っている写真にさほど魅力を感じなかったので後回しにしていたが、先日ふと思い出し、大学のHPにアクセスすると、おりしも見学予約受付中だったので、申し込み、行ってきた。

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●テンションあがりまくり

自分で呆れるくらいテンションがあがった。
モノそのものは写真に写っているものと同じなのだが、現場に足を踏み入れると、感じ取るものがまったく別のものになる。

写真という二次元情報から、頭の中で三次元に変換する能力が著しく低いのかなんなのか、写真を見て感じるものと、現地・現物を見て感じるものの落差が大きいケースが年々増えている。

今回は、写真から予想したものより現物がはるか上という嬉しいケースで、「上質のものを見ると気持ちがよい」を、堪能した。
草花の描かれた天井画がはめ込まれた格天井や火灯窓は、先日訪問した目黒雅叙園の百段階段を思い出させたが、醸しだす品格が違う。
「見る順番が逆でなくてよかった」、こちらを見てしまうと、百段階段は見劣りして楽しめなくなるところだった。
料亭と皇室の本邸を比べるのがそもそも間違いなのを頭では判っていても。

●皇室の邸宅

明治から昭和初期の時代に作られた皇室の建築物は、その当時の文化と技術の最高水準の反映とみなしてよかろう。
天皇を頂点とする身分制社会の最上部に位置する人々のために国家が作った建物だから、カネと人を惜しげもなく投入したのは当たり前。

昭和20年の敗戦で、それまでの天皇制が終了し、多数あった宮家は皇族の身分を奪われて特権的地位を失い、財産を失い、租税を課され、金銭上の理由で邸宅を維持することができなくなって手放した。

それらの邸宅のうちのいくつかが、現在外部の一般人の我々にも公開されて見ることができるようになっている。

京都・奈良に文化的価値の高い建築が多数残っているのは、日本の権力の中心が長い間あちらにあったからだ。
当代で最も「権力とカネ」を持つものが、文化的にも最高のレベルのものを作ることができる。

だから権力の中枢が江戸に移って以降は、江戸(東京)に最上の建築が作られて、多数残っていてもいいのだが、そうでないのは、江戸時代から密集地で火災が多い上に、繰り返す震災・戦災で焼失が大規模に起こり、折角残ったものも戦後の急激な開発で、壊したりどけたりしたせいだろう。

それらをくぐりぬけて現在残っているものは、所有者が保存の意思を明確に持って修繕や耐震工事を行い、文化財指定を受けているものが多く、おかげで消失の恐れは少ない状態になっている。
だからといって、急いで見に行かなくても大丈夫、と先送りにしていると、いつのまにか大規模な修繕工事をしてえらく姿が変わってしまったり、見学の日程や方法が変わったりといったことが起こるので、興味を持ったら早めに行くのが正解である。

●久邇宮

戦前の皇族に興味はないので、久邇宮といわれても「誰だ、そりゃ」だが、「昭和天皇の皇后の実家」といわれれば、「ああ、あの人の」となる。

あの人に関しては、皇太子妃に決まった美智子さんが平民の出身であることが気に入らず、結婚後も美智子さんに辛くあたって、美智子さんが苦しんだ、という母から聞いた話が最初に思い浮かぶ。
昭和天皇も、君主然とした尊大さが鼻につき、姿が目に入ると否定的な感情を惹き起こす人物だった。
(そもそも、総力戦の戦争に負けて国が壊滅状態になったのに地位に居残っている神経が理解できない、という意識が強かった)

この悪印象が少し訂正されたのは、自分が成長して、彼等の尊大さの原因は彼等個人にあるのではなく、そうなるような環境に生まれて育てられたせいだ、と認識した後である。

香淳皇后(良子女王)は、久邇宮邦彦王の第一王女として生まれ、14歳のとき皇太子妃に内定した。内定に伴い学習院女子部を中退し、久邇宮邸内に造られた学問所で、お妃教育を受けて過ごした。結婚したのは6年後である。

学問所は「お花御殿」と呼ばれ、建物は現在、都立駒場高校の校内に移築されて残っている。
・・という話を、復元した良子女王の部屋の前でガイド役の学生さんから聞いて驚いた。

都立駒場高校という名が出てくるとは思いもしなかった。
私は中学時代、この高校が憧れで、行きたいと思っていた。長い間忘れていた。今頃になって名を聞くとは。

なぜ、都立高校に、宮邸の建物があるのだろうか。
帰宅後に調べると、駒場高校の同窓会のHPに記述があった。

都立駒場の前身は府立第三高女(東京府立第三高等女学校の略称)で、戦前からの高女の名門校だった。ナンバースクールは設立順に番号がふられていて、第三までが明治時代に設立されている。
設立時は麻布にあり、久邇宮邸が近かった。

「下賜」された、とあるが、皇后陛下がご勉学に励まれた場所の建物をいただく、という趣旨で、恭しく頂戴した、といったところだろう。昭和8年なら、そういう時代だ。
「生徒及び教員の必死の防火活動により大空襲の戦火から焼け残った」とあるが、美談でもなんでもない。陛下から頂戴した大切な建物は、命に代えても焼いてはならぬ、死んでも守れ、逃げてはならぬ、と命じられた結果にすぎまい。

現在、仰光寮という名称で保存・管理され、学園祭のときに内部を公開しているそうである。

良子女王は、成婚の際、本館の唐破風の車寄から、十二単を着て宮中へ出立した。この車寄が今も残っている。(最初に載せた写真)

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Category :  展覧会
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予想を超えた大当たりの展覧会だった。

■阿弥陀如来

第一は、ご本尊の阿弥陀如来像が、実に魅力的な仏様だったこと。

隣の部屋にいるとき、遠くにその姿が目に映った瞬間に、捕らえられた。
誰?あのすてきなお方は。

そろそろと足を進め、近づく。
正面に立つと、思わず手を合わせたくなる。

そういう感情を惹き起こす像は滅多にない。
それも、お寺ではなく展覧会場で。

この仏像を、私は今まで知らなかった。有名な仏像は一通り知っているつもりだったが、寡聞にして知らなかった。
展覧会のチラシには写真が掲載されていた。(上の写真)
これを見たときには、全く興味を惹かれなかった。

会場で実物を見たとき、チラシの写真の仏像と一致しなかった。
写真から受けた印象とまったく違う。

写真と実物でこれほど印象が異なる仏像を見たのは、記憶にない。

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この横顔の写真は、他の写真よりは、実物の面影を伝えているかもしれない。

金箔が多く残り、元の姿を想像させ易い。
私は今まで「金ピカの像」をあまり好まず、否定的だったが、金色の像は観る者の感情に訴えかけるものがある、という心理的効果を初めて実感した。
何を今頃、であるが、いいと思ったことがなかったのである。

■道明寺十一面観音

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こちらは、「期待通りに」素敵なお方だった。

今回の展覧会で私の一番の目当ては、これだった。
昔写真で見て、気に入っていたもののひとつだ。
奈良の仏像の主なものは回ったが、大阪は、行く機会を逸した。

十一面観音で見るべきは、渡岸寺(滋賀)、それとこの道明寺。
渡岸寺の観音様は、2006年に東京国立博物館に来て、うきうきしながら見に出掛けた。

道明寺のお方が来ると予告で知ったときはちょっと驚いた。
展覧会の広告では、(同じ藤井寺市内にあり、毎月同じ18日に開帳して拝観できるので訪問する場合はセットで行く)葛井寺の千手観音が目玉で、大きくアピールしていた。東京での公開は江戸時代以来という宣伝文句はインパクトがある。
だが私個人は、道明寺が今回の展示品のリスト最上位で、他にはさほど興味がなかった。

というのも、仁和寺には特に興味がない。空海にもないし、何を隠そう密教が苦手なのである。
秘法とか祈祷とかいう世界は肌が合わない。申し訳ないがご遠慮したい。

それで、入場すると、順路を無視し、「御室仁和寺の歴史」「修法の世界」「御室の宝蔵」の第一会場を後回しにして、仏像を並べた第二会場へ直行した。
第二会場の最初は、観音堂を再現したエリアで、人・人・人。
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入場制限は解除になっていたから大丈夫と思ったのに、これはたまらん、とうんざりしたら、どうやら「撮影OK」なので人気を集めていたらしく、次の「御室派のみほとけ」のエリアは問題なかった。

この「観客が比較的少ない」エリアの展示が、ものすごかった。
葛井寺と道明寺のご本尊二体だけでもすごいのだが、他にもご本尊や秘仏がぞろぞろ。「開帳は33年に一度」という秘仏まである。
ものすごい頑張りよう、よくぞここまで集めたもの、と感心してしまった。

ご本尊というのは、基本的にお寺にいらっしゃらないといけない存在だ。展覧会に運んできてしまうと、その間、お留守ということになる。こんなに集めて、お留守のお寺が続出でいいんだろうか。

と心配をしたら、道明寺では、ご本尊が不在の間、代わりに、普段は非公開の重文の十一面観音を特別開帳する、という案内を出していた。なるほど、それはそれでいいことだ。

■お出ましいただいた皆様方

展覧会場の説明パネルの中の一節。
「本展にお出ましいただいている仏像を例に、各像の一般的な特徴をご紹介いたします」

名高い仏像が展覧会に出されるとき、「お出でになる」とか「いらっしゃる」といった敬語を使うのが習いである。
博物館の展覧会場に置かれた仏像は、材質がどうのだのX線で内部を調べるだの、「モノ」として扱われる。
観覧者は、美術工芸品を見に来る感覚で、「観察」したり、写真を撮ってもいいなら撮りたがる。

だが、仏像というものの本質は「信仰の対象」であって、そのことを忘れてモノとして観察されるべきものではない。
自分には長い間その感覚があって、展覧会に仏像を見に行くのは気が進まなかった。
見るなら「本来居るべき場所である」お寺へ、「置かれた場」も含めて見るものだ。

とはいっても、当面見に行く予定がなく、東京で機会があるなら、行こう、となり、この数年は「見に行きそびれていた」仏様いくつかを東博で見ることになった。
昨秋の「運慶」での円成寺の大日如来もそのひとつ。
これが会場の最初の部屋に展示してあったのには面食らった。メインとしてラストに置いてもいい仏像だと思っていたのに。製作年代の時系列に並べたからそうなったのは理解できるが。

■第一会場

後回しにした第一会場へ向かうと、閉館時間が近いせいか人がほとんどいない。
歴史資料は、ガラスケース内の小さいものも多く、これでは行列して入場制限がかかるわけである。

人がいないと、待たされることなくどんどん進む。
かつ予習で事前に読んでおいた書籍の内容とほぼ被っていて、パネルの解説を読む必要がない。「これが実物か」という確認作業に終始した。
本を読んでいなかったら時間が足りなくなるところで、助かった。

予習した本
もっと知りたい仁和寺の歴史 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい仁和寺の歴史 (アート・ビギナーズ・コレクション)
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この展覧会の解説書なのか?と思ってしまうくらい、掲載された仁和寺所蔵の宝物の多くが、本展覧会に出品されている。

Category :  展覧会
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10~11月、永青文庫で開催された長谷川等伯作の南禅寺天授庵の襖絵全32面公開に行ってきた。

等伯の作品の中で特段興味があるわけではない。が、三室の全画面一挙公開という機会はまたすぐにはあるまい。

調べてみると、通常は天授庵の収蔵庫に収められて非公開。
展覧会に出品されることはあるが一部に限られる。
近年複製画を製作し、方丈の元の場所に嵌めての期間限定公開を時折行っている。
・・ということが判った。

天授庵は細川家にゆかりがあることから、永青文庫での展覧会が実現したという。

4階の展示室で、ガラスの向こうの現物を睨みながら想像力をフル回転させ、室内にはめこんだ情景を頭の中で描いて過ごした後、2階の休憩スペースのソファに座り、陳列してある季刊誌や参考図書に記された解説を読んだ。

等伯の説話画 南禅寺天授庵の襖絵等伯の説話画 南禅寺天授庵の襖絵
須賀 みほ

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この書籍には、大いに助けられた。
複製画を嵌めて撮影した方丈の写真が多数掲載されている。
先ほど自分の想像だけで頑張っていたが、「これこれ、これを見たかったのよ」。

更に、巻末に記された指摘が刺激的だった。

近世以前の日本の絵は、現代のわたしたちが普通に考えるいわゆる”絵画”というものとはまったくことなっている。何より、画面となるものが観る人によって動かされ、そのつど変化するのである。絵巻、扇、屏風、そして襖ー掛幅のように大陸から伝わったかたちをそのまま保つものは別として、日本で独自の発展をとげた画面形式はどれも動くことを前提としており、うしろに壁がある訳でもなく、平面なのか立体なのか、抽象か具象か、そうした概念すらあてはまらない。


そう。襖は、開け閉めする。
襖を開いたとき、描かれた人物や風景は動き、重ねられて下になった画面の人物や風景は消える。
開いた襖の間に出現した空間には、次の間の襖に描かれた場面が現われる。

襖に描かれた絵を単体として切り取れば平面的にみえるが、現実には、32面の襖が立体的かつ動的に構成されている、といってよい。
三室の画面は連関しており、室内に滞在する人は、等伯の作り上げた絶妙な物語の世界に浸ることになる。

本書の解説を読み、複製画を嵌めて公開したときに天授庵に行ってみたい衝動が湧き上がった。



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永青文庫の季刊誌の冒頭には、毎号、細川護熙氏の挨拶文が近影と共に掲載されている。
毎度ダンディな佇まいで、見栄えのよい理事長で結構だが、ちょうど衆議院選挙の直後だったため、思わず嫌味を一言。

「政治の話にはもう関わらない方がいい。小池百合子に期待するなんぞ此方からみれば最初からお話にならない。お殿様の末裔らしく、文化芸術の領域の活動で済ませておくのが世のためですね」

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昭和記念公園は、紅葉や花の見どころスポットとして知られるが、あまり興味をもてず、初訪問が今頃になった。

そそられなかったのは、米軍基地の跡地だから、土地が平坦で高低差を望めぬし、歴史がなく人工的な作庭で、趣に欠けるだろう、と思ったため。

行ってみて、どうだったか。
確かに、池はどれも「作りました!」みえみえ、丘は「盛りました!」みえみえ。
平らな土地なのは如何ともし難い。
しかし、樹木の成長は速く、30年あればそれなりに根付き、公園として充分なレベルのものになっていた。

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立川駅で下車、公園の東端の出入口(あけぼの口)から入り、西方へ進むと、最初にススキの波がお出迎えする。
正面には、雪を被った綺麗な富士山があった。
(空の色が薄くて写真にはうまく写らなかった)
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見頃を迎えていたのは、銀杏。
「西川口カナール」と「かたらいのイチョウ並木」の二ヶ所に並木がある。
上はカナール横の並木。

遠方から一瞥して、四角に整形した並木の景観に違和感を覚えた。
写真に撮るとそれなりに絵になるが、実物は何度見てもおかしい。

高さが不自然に低すぎる。
樹形としてバランスが悪い。
上部を無理矢理「ぶったぎった」としかみえない。

フランス式庭園のつもりにしても妙なことよと不審を抱き、帰宅後に調べて、これには「明確な理由」があったことが判った。(後述する)

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並木の間の歩道は、落葉が散り敷き、黄金の道。

ちなみに、この一枚を撮ったときの私の横には、大勢の人がずらりと並んでカメラを構えていた。
人のいない光景を撮りたいと、一箇所でしゃがみこみ待つ人がいると、「私も」と倣う人が出る。
同調者の数が増えると(自分もその1人)、この「シャッターチャンス待ち集団」に配慮し、突破して進んでいく人がいなくなる。

反対側からやってくる人も途切れ、「よし今だ」となったとき、一斉にシャッターが切られ、次の瞬間には、足を止めていた人々が一斉に動き出した。

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メインエリアの西立川口近くにある「水鳥の池」。
遠方からは風情があるようにみえたが、水際の「眺めのテラス」に行ってみると、「人工です」みえみえ。

とはいえ周辺はプラタナスやケヤキが林を作り、秋の光景が広がっていて、充分に心を満たしてくれた。

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園内に、見晴らしのよい高台はほとんどない。
「花の丘」の上、「日本庭園」の裏手に当たる場所に、そのひとつがあった。
日本庭園を眼下に、園外の市街地を遥かに望める。



この公園の東側隣地は、立川飛行場である。
当然、「騒音」が聞こえてくるだろう、と思っていた。

午前中、数回ヘリの音が聞こえたが、ほとんど気にならなかった。
取り越し苦労だったか、と思ったら、昼を過ぎると様相が変わった。

バラバラバラバラというヘリコプターの音が継続して響いてくる。
空を見上げても姿が見えず、音だけのときが多い。
上を通らなくても、隣地で発着すれば、これだけ聞こえるか。

これだと公園周辺の住宅は相当やられるな。

ここから北西方向約6kmの所には、横田基地がある。
横田の発着機は上空を飛ぶのだろうか。

広大な「みんなの原っぱ」の端のベンチで休憩しながら西の空を眺めていると、北方から南方へ離陸した機体が旋回しながら上昇し、北へ向かって去っていくのが見えた。
その後、南からの着陸機の姿もみえたが、私の滞在中、此方の方角にやってくる機体はなく、騒音もなかった。

帰宅後に調べると、横田基地の騒音エリアは、南北に貫く滑走路を延長したエリアで、東方の立川市は含まれない。
立川市で問題になる騒音源は、立川飛行場。

紅葉を見に行った先の観光地で「航空機騒音」に注意を払う輩は珍しいだろうが、なにせ、羽田空港の新ルート下になり騒音被害を受けることが決まっている居住民の身である。

昨秋、北鎌倉に紅葉を見に行ったとき、降り注いでくる航空機騒音に気づき、「神奈川県内に空港はないはず。どこを使う飛行機?」と空を見上げた。

谷あいで、見える空が少ないため、音が聞こえても、なかなか機体が見えない。
次に見えた機体が向かう方向を認めたとき、頭の中の地図を辿って気づいた。
「北西。この先にあるのは・・そうか。厚木だ。
とんできた方向には、横須賀があるな」

鎌倉は環境良好というイメージがあったが、アウトである。
騒音回避を目的とする移住先エリアの候補リストからはさっさと除外と相成った。

昭和記念公園の話に戻る。
カナールの銀杏並木が低いのは「立川飛行場の飛行ルートにあたるための高さ制限による」という記載をネット上でみつけた。

確かに、南北に伸びる滑走路の延長上のエリアである。

好きで低く刈り込んだのではなく、「止むを得ず、ぶったぎった」らしい。

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